私の祖父は昨年、94歳で他界しました。
もの静かでたくさん会話があったわけじゃないけれど、とてもかわいがってもらったという実感があります。
それはなぜか?
じいちゃんは、私の存在自体を愛情もって包んでくれてたと思うから。

わりと近くに住んでいたので、よく泊まりにいってました。
すごく喜んで一緒にとなりで寝てくれました。
喜んでくれるのがうれしくて、毎週のように泊まりにいってました。
いつもにこにこ「きたか〜」と、迎えてくれて。
夏休みの宿題、一緒にやったなぁ。
延々と工作を作ったり、自由研究したり。
元教員だったからネタもたくさんあっただろうし、教え方も遊び方もうまかった。
意外なんだけど
そんなじいちゃんからは色々言ってもらってたと思う。
だけど、今になって思い出す言葉はこれなんです。
お前はなんでも美味しい美味しいってたべるな
ちゃんとありがとうが言えてすごいな
意外だけど、こんだけです。
勉強や運動をがんばったとき、作文で賞をもらったときも、もちろんすごいな!と喜んでくれていましたが、なぜだか覚えてるのはこういう素朴な言葉なんですよね。
これがなぜ心に残っているかというと、たぶん私自身の存在だったり、能力じゃなくて性質をほめてもらえてるから。
きみは人間の真ん中にある大事な部分がしゃんとしている、ステキな子だって、同じ目線で、認めてもらえた気がしたんです。
これを言われたとき、心の奥がこそばゆくてうれしくて、体の真ん中から力が湧いてくる気がしました。
伝わっているかな
私も、子どもの存在そのものが大好きだってこと、伝えられるように心がけてます。
伝わってるかな、どうかな。
むずかしいよねー。
いやぁ実はこの前、じいちゃんのことメタメタに書いてしまったから、あの世で泣いてるかもと思い、この記事書きました。
じいちゃんごめんね。でもさ。
ほんとつらかったの。
大好きなじいちゃんだからこそ、きつかったんだよ。
と、言い訳したところで今日はおしまい。
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