「こころってどこからくると思う?」
子どもというのは、急にすごいことを言い出だすものです。
小学校にあがったばかりの末っ子さんちゃんから、こんな哲学めいた質問がとんでくるとは、成長したもんだなぁと感心していたのですが、さぁどのようにこたえよう?
私がうんうん考えている側で、小6の長男は涼しい顔で
「体のどこかにあるんだと思うよ」
と、自信ありげに言い放ちました。
心というのは形のないもので、体の中にあるという感覚もなかった私は、そうなんだ、いっちゃんはそうやって思っているのねと、それはそれでびっくりしていると、三男が「あのねぇ」と、やおら立ち上がりました。
そうして、小さな頭や手足を使って、かわいい説明が始まりました。
「こころはね、頭のうえのほうからやってくるんだよ」
こうやってね…と、せいいっぱい背伸びをして、うでを大きく振り上げ、伸びるところまでのばしてから、こころがやってくる方向というのを指し示しました。
「こう、頭のうえからきて、かみの毛にはいるの。そこから、体じゅうにまわっていくんだよ」
それを聞いて、驚きの声をあげたのは、世話好きの二男じろうです。
「へぇ!さんちゃんはすごいね、こころって、血液みたいな感じっておもってるんだ!?」
それでね、と、まだまださんちゃんの答弁は続きます。
ちょっと頭を垂れて、悲しげな表情を作ったかと思うと、
「しょんぼりしちゃうときがあるでしょ」
「うん、あるね」
「そういうときは、頭がさがるでしょ、そうすると頭からこころが逃げていっちゃうの」
つまり、こういうことなのでした。
こころというものは頭のうえのほうからやってきて、ひとの頭(かみの毛)から入り、身体中をめぐっている。
そして、うれしかったり、たのしかったりという気持ち感じたりする。
そして、しょんぼりしちゃうときは、頭からこころが抜けていて、だから悲しい気持ちになるのだそうです。
なんとなく、すじが通っている気がします。
うまくいかなくて気持ちが晴れないときには、なんだか姿勢も悪くなって、余計落ち込んだりしてしまうのはよくあることです。
幼いながらに、心と体のつながりを感じているというのは、興味深い発見でした。
それに、こころというのが天の方向からやってくると考えるあたり、さんちゃんにとって「こころ」というものを神聖なものとして捉えているのがわかり、不思議な気持ちになったのでした。
だってこんなこと、親の私から教えたわけでもないのに、勝手に考えて楽しそうに話しているんです。
「ねぇそんなすごいこと、どこで聞いたの?」
と尋ねると、
「どこからも!さんちゃんが自分でかんがえたんだよ!」
そういう彼の表情は、きらきらと自信に満ち溢れていました。
おそらく何の根拠もないけれど純粋に自分の考えを自分で良いものだと信じている、いい顔でした。
どこかから聞いた話や本で読んだ話に、自分の感覚のエッセンスをちりばめて、いろんな色を切り貼りして、独自の世界を作り上げていっているところなのでしょう。
そんな工作(芸術作品)が創りあげられていく様子をみているようで、私は彼の作品をいつまでも味わっていたい気持ちになっていたのです。
ランドセルの中身が空っぽのまま帰ってきたりするくらい、ちょっとのんびり屋さんな三男ですが、その想像力は兄弟の中でもずば抜けていると思っています。
思わぬタイミングで独自の世界を展開してくるのがおもしろく、彼の想像の世界にお邪魔させてもらうのが私のひそかな楽しみです。
それでは今日も心晴れる1日を。
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